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最高裁判所第一小法廷 昭和57年(も)1号 決定 1982年12月22日

主文

本件請求を棄却する。

理由

本件刑事補償の請求の趣旨及び原因は、別紙刑事補償請求申立書記載のとおりである。

本件請求は、要するに、請求人は、刑の執行猶予言渡取消決定に対する即時抗告棄却決定に対する特別抗告事件において、刑の執行猶予言渡を取り消した原原決定及びこれを維持した原決定をいずれも取り消し刑の執行猶予言渡取消請求を棄却する旨の裁判を受けた者であるが、特別抗告審における右裁判を受ける以前すでに受けていた右刑の執行に対して、刑事補償法の適用ないし準用により、補償を請求するというのである。

しかしながら、刑事補償法は、刑事訴訟手続において無罪の裁判を受けた者(同法一条)又は免訴若しくは公訴棄却の裁判を受けたが、もしそのような裁判をすべき事由がなかつたならば無罪の裁判を受けるべきものと認められる十分な事由のある者(同法二五条)に限り、その者は、国に対して、その者が受けた未決の抑留若しくは拘禁又は刑の執行等による補償を請求することができる旨を定めた法律であつて、刑の執行猶予言渡取消決定につき特別抗告審において取消の裁判を受けた者が右裁判前すでに当該刑の執行を受けた本件のような場合は、右各条が定める補償の請求をすることができる場合に該当しないことが明らかであり、又、右各条を準用してこれを許すべきものとも解されず、結局、刑事補償法に準拠する補償の請求は許容されないものといわなければならない。

よつて、本件請求は理由のないものと認められるから、同法一六条後段によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官団藤重光の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官団藤重光の補足意見は、次のとおりである。

私見においては、刑の執行猶予言渡取消決定が確定するまでは当該刑の執行は許されないのであつて(最高裁昭和五四年三月二九日第一小法廷決定・刑集三三巻二号一六五頁におけるわたくしの反対意見参照)、その確定を待たないで行われた本件刑の執行は違法というほかないが、国家賠償や不法行為による損害賠償の請求が許されるばあいがありうるのは別論として、刑事補償法による刑事補償の請求が認められないことは、法廷意見の説示するとおりである。

当裁判所の判例(最高裁昭和四〇年九月八日大法廷決定・刑集一九巻六号六三六頁)によれば、刑の執行猶予言渡取消決定があつたときは、即時抗告の提起期間内またはその係属中は取消決定の執行は停止されるが(刑訴法四二五条)、即時抗告棄却決定が猶予期間経過前に本人に告知されたばあいには、執行猶予言渡取消の効果が発生し、検察官は刑の執行指揮をすることができるものとされている。即時抗告棄却決定に対しては特別抗告が許されるが、特別抗告は執行停止の効力を有しないから(同法四三四条、四二四条)、とくに執行停止の決定をしないかぎり、執行猶予言渡取消決定は、「直ちに執行し得る状態」になるというのである。しかし、そのいわゆる「直ちに執行し得る状態」は確定的なものではなく、執行停止の可能性があるばかりか、特別抗告によつて執行猶予言渡取消決定が取り消される可能性もあるのである。のみならず、私見によれば、もともと執行猶予言渡取消決定には、厳密にいえば「執行」の観念はない。執行というのは、裁判の意思表示的内容を公権力をもつて実現することであるが、執行猶予言渡取消決定は執行猶予言渡の効果を消滅させるという意思表示であるから、その確定によつて当然に執行猶予言渡の効果が消滅するのであつて、そこには取消決定の執行という観念を容れる余地は存在しない。取消決定の確定によつて執行猶予の言渡が失効し、それと同時に執行猶予の付されていた刑が執行可能となるのである。右大法廷決定のいわゆる「直ちに執行し得る状態」なるものは、執行の観念を容れるような決定(たとえば勾留、保釈など)についてはあてはまるが、執行猶予言渡取消についてはそもそもあてはまらないのである。右大法廷決定が、執行猶予言渡取消決定が「直ちに執行し得る状態」になることを理由として、その確定前に刑の執行指揮が許されるものとしていることは、わたくしには、とうてい承服することができないのである。奥野裁判官が右大法廷決定における反対意見の中で指摘しておられるとおり、執行猶予言渡取消決定の確定を待たないで刑の執行を許すことは、裁判の確定前に刑の執行を許すのと同様であるといわなければならない。右大法廷決定は、このばあいを刑訴法四七一条(裁判の確定後執行の原則)の規定にいわゆる「この法律に特別の定のある場合」にあたるものとみているのであろうが、いやしくも刑の執行に関するかぎり、罰金等の仮納付の制度(同法三四八条、四九〇条、四九三条、四九四条)のようにとくに明文をもつて定めたばあいのほかは、軽々に確定後執行の原則に対する例外をみとめるべきものではないのである。

実務上は検察官は、取消決定の確定を待つて刑の執行指揮をするようにしているらしいが、それは単に運用上の配慮にとどまり、右判例にしたがえば、取消決定の確定前にも刑の執行が許されるのであつて、刑の執行の開始後になつて特別抗告によつて取消決定が取り消されるということがありうるわけである。現に本件では、まさしくそのような事態が発生したのであつた。本件の事案は、奥野裁判官やわたくしの見解が正しいことを実証したものというべきであり、わたくしは、この機会に、改めて、前記大法廷判例が変更されるべきことについて注意を喚起したいとおもう。

(和田誠一 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 谷口正孝)

弁護人山口紀洋外の刑事補償請求申立

〔申立の趣旨〕

申立人に対し刑の執行に対する補償として金一〇〇、八〇〇円を払渡す。

〔申立の原因〕

一、申立人は昭和五四年一月二六日東京地方裁判所において、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反事件(以下第一事件という)につき懲役二年六月の判決言渡を受け、申立人から控訴の申立がなされ、同五六年七月六日東京高等裁判所において、原判決破棄、懲役一年六月、三年間執行猶予の判決言渡を受け、右判決は上告期間の経過により同月二一日確定した。

他方、申立人は第一事件の控訴審係属中である昭和五六年一月七日に有印私文書偽造、同行使被告事件(以下第二事件という)で東京地方裁判所に起訴され、昭和五六年六月二二日同裁判所において、懲役六月未決勾留日数算入一二〇日の判決言渡を受け、翌二三日申立人は控訴の申立をしたが、同年七月一一日控訴取下書を提出し、これにより右判決は確定した。

二、ところで、申立人は第二事件の判決言渡日(昭和五六年六月二二日)より東京拘置所に既に拘留されていたが、第二事件の確定により(七月一一日)刑の執行が開始され同年九月一二日その執行を終了した、(控訴取下日の七月一一日より懲役六月に該る日は昭和五七年一月一〇日であり、これより一二〇日を逆算で引くと九月一二日となる)したがつて、申立人は翌日である昭和五六年九月一二日中には解放されるべきはずであつた。

三、ところが、東京地方検察庁検察官は昭和五六年七月三一日東京地方裁判所に対して、第一事件の執行猶予付判決に対して刑の執行猶予の言渡しの取消請求がなされたため、東京地方裁判所刑事第二六部は同年八月七日右刑の執行猶予の言渡しを取消した。

そのため、申立人は昭和五六年九月一三日より第一事件の刑の執行を引き続き東京拘置所で開始された、更に、同年九月二八日からは長野刑務所に移送され刑の執行を受け続けた。

四、この為、申立人は、第一事件の刑の執行猶予の言渡し取消決定は違法であるとして東京高等裁判所に即時抗告を申立てたが同高等裁判所刑事第二部は昭和五六年八月三一日右即時抗告を棄却したそこで申立人は更に最高裁判所に特別抗告の申立をしたところ、最高裁判所は昭和五六年一一月二五日右特別抗告を認め、第一事件に対する「原決定及び原原決定を取り消す、本件刑の執行猶予言渡取消請求を棄却する」旨の供述を下し、同決定は確定した。

なお最高裁判所は右決定にさき立つ昭和五六年一〇月二日刑の執行を停止する決定を下し、同日申立人は長野刑務所から解放された。

五、よつて、申立人は昭和五六年九月一二日より(厳密に言えば、刑の執行は九月一二日二四時までなし得るが、解放手続を深夜行なうことは実務上出来ぬ為一般には終了日の夕刻に解放されることになる、従つて申立人の場合も九月一二日の刑務所の釈放手続の一般的勤務時限たる午後五時以降は、第一事件の刑の執行に入つたと考えるべきであるから、九月一二日も算入する)、解放された同年一〇月二日まで延べ二一日間違法に刑の執行を受けたものである。

六、申立人は右違法な刑の執行により、重大な損害を蒙つたものである、即ち、申立人は、第二事件により昭和五五年一二月一七日逮捕されて以来十ケ月以上も既に拘禁されており、その後の不当な執行は肉体的に極めて重大な侵襲を与えたものであり、その為解放された後も健康を真に回復する迄約三ケ月以上をも要したものであり、経済的にも九月中旬を解放と考えていたから就職先きも決めていたが執行猶予が取消され釈放がいつになるか分からぬことになり事実第一の事件の刑の執行も開始された為就職先きも取消さざるを得なくなり、更に本件執行の為申立人の妻山田京子は神経性胃炎が悪化し家庭は崩破の危機に直面し、その為申立人の精神的衝激は甚大であつた、しかも申立人が移送された先きは長野刑務所であり再犯受刑者を主に執行する刑務所であり、刑務所内の生活は申立人にとつて非常につらいものであつた。

七、右事情により、申立人は刑事補償法の適用乃至準用により右不当に懲役刑を執行された二一日間に対し一日当り金四千八百円に当る補償(合計金一〇〇、八〇〇円也)を請求するために本申立をなす。

添付書類<省略>

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